夏の夜、部屋の明かりに誘われて飛んできた小さな虫。腕や首にとまったその虫を、あなたは無意識のうちに、パシンと手で叩き潰してしまってはいませんか。もし、その虫が「やけど虫(アオバアリガタハネカクシ)」であったなら、その行為は、自らの手で皮膚に毒を塗りつける、最も危険な行為となります。やけど虫による被害を防ぐために、最も重要で、絶対に守らなければならない鉄則、それが「決して叩かず、潰さず、肌に触れさせない」ことです。やけど虫の恐ろしさは、彼らが持つ毒針や牙にあるのではありません。その危険性の源は、彼らの体全体に含まれる「ペデリン」という強力な毒液にあります。彼らは、ただ皮膚の上を歩いているだけでは、基本的には無害です。しかし、叩き潰されたり、強い力で払いのけられたりして、その体が破壊された瞬間に、猛毒の体液が周囲に飛散し、皮膚に付着してしまうのです。これが、激しい皮膚炎を引き起こす直接の原因となります。では、もし体にやけど虫がとまっているのを見つけたら、どうすればよいのでしょうか。正解は、「そっと、優しく、肌から遠ざける」ことです。まずはパニックにならず、息を殺してじっとします。そして、息を強く「フッ」と吹きかけて、虫を吹き飛ばすのが最も安全な方法です。もし、息を吹きかけるのが難しい場所にいる場合は、ティッシュペーパーや柔らかい紙などをそっと近づけ、虫をその上に誘導して移動させ、そのまま外に逃がしてあげましょう。手で直接触れるのは絶対に避けてください。万が一、誤って潰してしまった、あるいは払いのけた際に体液が付着したかもしれないと感じた場合は、症状が出る前であっても、すぐにその場所を大量の水と石鹸で徹底的に洗い流してください。この初期対応が、その後の皮膚炎の重症度を大きく左右します。やけど虫は、派手な見た目で危険を知らせてくれています。その警告を無視し、反射的に手を出してしまうことの代償は、数週間にわたる痛みとかゆみです。小さな虫との遭遇は、力ではなく、知恵で乗り切ることが、自分自身の肌を守るための最善の策なのです。